飛騨には縄文時代の遺跡が非常に多くあり、随分古くから文化が開かれていたことが想像されます。
片野町の糠塚遺跡から発掘された「浅鉢(あさばち)」は国の重要文化財に指定(高山市郷土館に展示)され、また上野町の垣内(かいとう)遺跡からは75基の住居址と環状列石が発掘されました。飛騨の山地にはクリ、ドングリ、クルミなどの植物資源、イノシシ、クマ、シカなどの獲物が豊富で、豊かな自然の中で採集、狩猟生活が繰り広げられていました。 古墳時代、正史の中に初めて登場する飛騨の事件が両面宿儺(りょうめんすくな)の反乱です。『日本書紀』によれば、身体が一つで両面四手四足の怪物宿儺が朝廷の命令に従わず、仁徳天皇の65年、将軍難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)によって討伐されたとあります。やがて、飛騨の豪族も中央に従うようになりました。
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